日本の古代が面白い①    能登(羽咋市)にも  「因幡の白うさぎ」と同じ神話が存在した 

これは、半世紀前、おばあちゃんが母に語った疑問

能登の言葉と、出雲の言葉には、似た言葉があるんだけど、なんでかな」

 

「さぁ・・・?」

 

能登と、出雲にはつながりがあるのでしょうか?

 

ふと、休暇村千里浜のブログを見ていた時、

 

『魅力発見!能登羽咋』今日どこ走る?①~伝説の白うさぎ~ | ブログ | 休暇村能登千里浜【公式】 (qkamura.or.jp)

 

あの有名な因幡の白兎」と同じ伝説が

鳥取県 白兎神社


能登(石川県羽咋(はくい))にもあったことがわかったんです!!!😲

 

皆様もよくご存じだと思いますが、

 

日本書紀古事記

 

「イナバの白うさぎ」

鳥取県の道の駅 神話の里 白うさぎ)

 

簡単に説明をさせていただきたいと思います

 

昔、八十神が稲羽(イナバ)にいる、とても美しい

 

八上比売ヤガミヒメ」にプロポーズしようと、

 

オオナムヂ(大国主命・おおくにぬしのみこと)のことを、

 

お供の者のように荷物を背負わせて向かっていました

 

気多(けた)の前に来た時、皮をむかれて赤裸になっていたウサギを見つけた

 

八十神たちは、

 

「海の塩水を浴びて、風にあたって、山に伏していなさい」と教えました

 

ウサギは言われる通りにしていましたが、逆に痛みは増すばかり

 

(「塩水を浴びて、風に吹かれて乾かしていなさい」なんて、ひどいんじゃない!)

 

八十神の大きな荷物(袋)を担がされていた大国主命が、後からやってきて、

 

泣いているうさぎ見つけ、

 

「どうして、泣いているんですか?」

(道の駅にある ペットボトルのフタで作られた壁画)

と、うさぎに事の顛末を聞きました うさぎは、

 

「オキの島から海を渡ろうとしましたが、術がなく、海にいたワニたちを呼んで

 

『私の一族とあなたの一族のどちらが多いか、比べてみませんか

 

この島から気多の前まで、並んでみてください 

 

私があなた達の上を渡って数えてみましょう』と言って渡っていたのですが、

 

あと一歩、という所で、思わず

 

『わ~い!騙されてやがんの(^^♪』

 

と言ってしまったのです

 

その言葉を聞いた最後のワニが、私に襲い掛かり、私の皮をむいてしまったのです

 

その時、通りかかった八十神が

 

『海水を浴びて、風に吹かれて山で臥せっていなさい😝』

 

と言われたので、その通りにしていたのですが、痛みは増すばかり( ノД`)シクシク…」

 

不憫に思った大国主命は、うさぎに、

 

「今すぐ水門に行き、水で体を洗って、水門の所に生えている

 

「ガマの穂綿」を敷き、その上に転がりなさい そうすれば、治りますよ」

 

うさぎは大国主命の教え通り、ガマの穂綿にくるまると、元通りの姿に戻りました

 

うさぎは大国主命に向かって

 

八上比売は、『お優しいあなた様のお嫁さんになりたい』とおっしゃいますよ!」

 

と、予言しました

 

ほぼ同じ伝説が、能登羽咋)にもあったんです

白うさぎの伝説がのこる 長手島 石川県羽咋市 (hakui.me)

 

昔、出雲の国と能登の国までの日本海を「気多の海」と呼び、交流が盛んでした

 

大国主命が国土開発のため、能登へおいでになったり、また、海流の影響で

 

出雲との交流が盛んでありました

 

ある時、能登の白うさぎが、長手島の妙成岩から滝崎(気多大社)まで、

 

サメをだまして飛び渡ったため、体の毛をむしり取られて赤裸になり苦しんでいました 

 

大国主命の、「滝崎にある「ガマの穂」を用いれば良いですよ」

 

との教えにより、うさぎは一命をとりとめました

 

今でも、滝崎と邑知潟に「ガマの穂」がたくさん生えています

 

その長手島についてですが、

 

砂浜で陸とつながっていて、その景観から

 

「小天の橋立」と言われています

 

2014年の映画「小さいおうち」のロケが羽咋で行われ、

 

主演の妻夫木聡さんたちが長手島を訪れました

 

山田洋次監督は、自ら長手島を訪れて、ロケ地に決定したそうです

 

海岸に車を止めて、約1キロの遊歩道を歩いて探索することも出来るそうです

 

また、羽咋市にある

 

気多大社の御祭神は「大己貴命・オオナムチ(大国主命・大国様)」

 

大己貴命は、出雲から船で能登に入り、国土を開発した後、守護神としてこの地に鎮

 

まった(気多大社縁起)のだそうです

 

出雲風土記」の国引き神話では、

 

八束水臣津野命(ヤツカミズオミツヌノミコト)が

 

「高志(コシ)の都都(ツツ)の三埼(能登半島 珠洲地方)

 

を海の向こうから引っ張って来て、美保関となり、

 

その時打った杭は大山となり、引っ張るのに使った網は弓ヶ浜になった

 

という神話があります

 

出雲と能登の歴史についての新聞記事

 

西日本新聞 2017年9月2日の文化面に、

 

出雲と能登の歴史についての記事が載っていました

 

対馬海流の道 列島各地へ 宗像・沖ノ島世界遺産登録に寄せて」

 

(岡本雅亨・福岡県立大教授)

 

西日本新聞 2017年9月2日 「出雲」の足跡を追って「宗像」「安曇」に出会う 対馬海流の道、列島各地へ|記事|エッセイなど|連載・寄稿|八雲の空 岡本雅享の出雲学 (izumo-studies.info)

 

能登に関係のある部分を、抜粋させていただきます)

 

能登半島志賀町(シカチョウ)福野潟周辺には、古代に出雲から移住してきた

 

住民が創建した出雲神社があり、

 

(旧村)出雲町の隣には、安津見(あづみ)(旧村)がある

 

志賀町大島には、宗像3女神を祀る、

 

意富志麻(おおしま)神社(羽咋郡志賀町大島イ3)がある

 

筑前の国安曇(あづみ)(福岡市志賀島周辺)から移住してきた海人が創建した

 

と伝わる、奈豆美比め神社もある

 

志賀町の地名、神社、伝承は、「安曇(あづみ)」と「宗像(むなかた)」と

 

「出雲」の海人が

 

能登へ渡って来た歴史を刻むかのよう

 

能登半島の北約50キロの舳倉島には、

 

宗像から移住したと伝わる海人の子孫が住んでいる

 

穴水町にも、宗像3女神を祀る「辺津比め(へつひめ)神社」がある

 

新聞記事とは別に、

 

輪島市海士町は、江戸時代、筑前の国(福岡宗像市)から移住してきた漁民によって

 

開かれたのだそう

 

びっくりしたのは、世界遺産となった「宗像」がでてきたこと‼

 

新聞記事とは別ですが、

 

出雲弁は西のズーズー弁 松本清張砂の器で脚光を浴びた

 

出雲弁と東北弁の類似性

 

古代出雲の住民が東北地方に移住した、説もあるのだそうです

 

松本清張のファンのおばあちゃんは、

 

方言について、この本を読んで興味を抱いたのかもしれません

 

おばあちゃんの推理「出雲弁能登弁は、似てる言葉がある」

 

おばあちゃんの知恵!すごい!と思いました

 

能登には、古代の謎や、ロマンがいっぱい(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

また、能登に行って神社巡りをしたくなってしまいました

 

長くなってしまったので、また、続きを書きたいと思います

 

読んでいただき、ありがとうございました<(_ _)>